勝手にお名前診断 (第190回)※2020年8月6日の記事を改訂
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第190回目の今日は梅宮辰夫さんです。
本名は読みは同じで辰雄と書きます。
ローマ字で書くとUMEMIYA TATSUO となり、
苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。
“なめらかネーム”は男女を問わず俳優業に強く、当たり役やヒット作に恵まれやすいという特性があります。
また、全体を見るとUMEMIYA TATSUO と、A・I・U・E・O 5つの母音が全て入っています。
このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。
“ロイヤルネーム”は芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。
梅宮辰夫さんは“なめらかネーム” の“ロイヤルネーム”と、良い名前の条件が重なっていたのですね。
昭和33年、日本大学法学部在学中に銀座でスカウトされて東映ニューフェイスに合格し、翌年には映画で主演デビューと、スター性の片鱗を窺わせていました。
丁度その頃東映が売り出そうとしていた若手俳優が事故で急死した為、新人の梅宮さんが次世代のスターとして売り出される事となったのです。
初期はアクション映画や仁侠映画など硬派な役が多かったのですが、私生活が派手になっていった梅宮さんに合わせようと、「夜の青春シリーズ」と呼ばれた4部作からはプレイボーイを演じる事が多くなっていきます。私生活でもプレイボーイとして鳴らした梅宮さん、当時の若手映画スターのモテ方は今の芸能人の比ではなかったそうです。
ロイヤルネームは芸能界のジャンルに関係なく“モテる”という特性もあるのです。
その後も情には熱いが女たらしの主人公を演じた「不良番長」が好評を博し、全16作にも及ぶシリーズとなりました。若い頃の梅宮さんにとっての代表作と言えるでしょう。
昭和47年に事務所の倒産によって借金を抱えた中、クラウディア・ヴィクトリアさんと結婚して長女(梅宮アンナさん)が誕生しました。
翌年からは「仁義なき戦い」や仁侠映画などで再び硬派路線に戻り、ベテラン俳優として重厚な役どころが多くなります。出演シーンは少なくてもキャリアがある分ギャラは高額になり(分かりやすく言うと出演者のクレジットで1番最後に名前が出る様な役)出演作品も多かったので借金返済にはそれほど時間は掛からなかったでしょう。
80年代後半からは「食いしんぼう万歳!」の出演を皮切りにバラエティーにも進出し、92年には娘のアンナさんも芸能界入りして親子共演なども話題となりました。
ただ、アンナさんが羽賀健二(はがけんじ)さんと交際を始めた事に猛反対し、一時はワイドショーで連日の様に取り上げられる常連となってしまいます。
自身も若い頃プレイボーイとして鳴らした嗅覚が、彼の危険性を感じとったのでしょうか。
下の名前を母音ではなく文字で見ると(たつお)と、「お」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。
生まれ持っての自分に厳しいタイプなので、愛娘の交際相手を見る目も厳しかったのでしょう。(斜体文字が加筆した部分です)
それにしても自分の可愛い娘がプレイボーイの毒牙に掛かるとは皮肉なものです。
◉実業家として
俳優業やバラエティー出演の傍ら、若い頃から美味いものばかり食べてきて肥えた舌を活かし、料理の腕前にも磨きを掛けていきます。
やがて「梅辰亭」や「漬物本舗」など飲食店のフランチャイズも展開し、実業家としても成功しました。
さすがロイヤルネーム、芸能界以外でも「何をやっても上手くいく」んですね。
ただ晩年は病気に苛まれ、前立腺がんや尿管がんなど何度も手術・入退院を繰り返す日々が続きます。
そして2019年、慢性腎不全の為81歳でこの世を去りました。
亡くなられた後もロバートの秋山竜次(あきやまりゅうじ)さんは“体モノマネ”を続けていました。
生前ご本人に伺いを立てたところ、「やるんだったら中途半端じゃなく突きつめろ!何をどうやっても良いからちゃんとした芸をやれ!」と、怒られるどころか励まされたそうです。
寛大な心を持った、器の大きい方だったんですね。
この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。