勝手にお名前診断 (第285回)
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第285回目の今日は小田和正さんです。
このお名前は本名です。
ローマ字で書くとODA KAZUMASAとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。
“なめらかネーム”は男性歌手運が強く、ヒット曲に恵まれやすいという特性があります。
横浜出身の小田和正さんは、幼少時代バイオリンを習っていた経験から音楽に精通していました。小学3年生の時、中学受験の為に通っていた塾へ向かう電車の中で、後にオフコースの一員として苦楽を共にする鈴木康博(すずきやすひろ)さんと出会います。
鈴木康博さんとは中高一貫の聖光学院に入学し、高校3年生の時の学園祭で他の2人を加えた4人で演奏したのが最初のきっかけでした。
小田さんとあと1人を除いてはそれぞれ違う大学へ進学した為離ればなれになりましたが、音楽活動はその後も続けられました。そこで初めてバンド名が付けられ、最初はジ・オフ・コースとなります。
1969年、アマチュアとしての活動にけじめをつける為に「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場し、優勝して最後を飾るつもりで臨んだものの2位になってしまった為「このままじゃ終われない」と、プロの道へ進む決意をします。
そして70年にシングル「群衆の中で」でプロデビューしました。
ジ・オフ・コースという名前は最初と最後の母音が違うので“ノーリターンネーム”になります。ノーリターンネームのバンド(グループ)の特徴は、まず安定性が弱い為に長く続かず(解散しやすい)、テレビの歌番組などへの出演も少なくなるという点が挙げられます。
3枚目のシングル発表時には既にオフ・コースと改名し、小田さんと鈴木さん以外のメンバーも入れ替わりが激しく安定せず、ヒット曲もなかなか出なかった為テレビ出演もありませんでした。
一時は小田さんと鈴木さんの2人だけになった事もありましたがなんとか活動を続け、新たに3人のメンバーを加えて5人体制となって(名義も「・」が取れてオフコースになる)からの79年12月に「さよなら」が大ヒットして、ようやくニューミュージック・バンドとして世間からも認められる様になります。
ここで小田さんと鈴木さんのお名前を文字で見てみましょう。
小田さんは小田和正(おだかずまさ) 、
鈴木さんは鈴木康博(すずきやすひろ)と、
どちらも自分に厳しくなる“お・か・きネーム”なので、なかなか売れなくてもメンバーが2人だけになっても続けられたのでしょう。
小田さんは特に「お」と「か」の2文字も入る為、より自分に厳しい方だと思われます。オフコースの楽曲のほとんどを作詞・作曲していたのも小田さんでした。
メジャーになってからも「YES−NO」「YES−YES−YES」「君が、嘘を、ついた」など数々のヒット曲を生み出しましたが、テレビの歌番組には全くと言っていいほど出演しませんでした。
「ジ」が取れてオフコースになっても最初と最後の母音が違うノーリターンネームだったので、テレビにはほとんど出演しなかったのです。
小田和正さん自身もお喋りが得意な“リターンネーム”ではないので、テレビに出演する事はほぼありませんでした。
一度「笑っていいとも!」のテレホンショッキングのコーナーに明石家さんまさんが出演した時、どうせなら滅多にテレビに出ない人に繋ごうと、ダメ元で小田和正さんに電話したところ、渋々断わりきれずに出演する事となりました。
ところが先述の通りお喋りが得意ではない為に沈黙の時間が流れ、なんとか間を埋めたタモリさんが最後に「“いいとも”は英語で言うと“オフコース”という意味にもなりますので、私の呼びかけにオフコースと答えてもらえますか?」と半ば強引に誘導し、「次もまた(機会があれば)来てくれるかな?」と問われて「オフコース!」と照れながら答えていた印象があります。
それぐらい(さんまさんやタモリさんが無理矢理呼び出したり喋らせたりしないといけないぐらい)本業の音楽以外では人前に出るのが苦手な方だったのです。
83年には鈴木康博さんが脱退して4人体制となりました。
鈴木康博さんのお名前をローマ字で書くとSUZUKI YASUHIROとなり、同じ母音のペアが出来ない“ノーペアネーム”の為、安定を望まなかったと考えられます。
苦楽を共にしてきた鈴木さんの脱退により、小田さんも一度は解散を考えて約1年間活動休止しますが、4人でまた続けていく決意をします。
結局89年にオフコースは解散となり、そこからソロ活動を本格化した小田和正さんは、91年にドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌となった「ラブ・ストーリーは突然に」が250万枚を超える売り上げを記録し、キャリア最大のヒットとなりました。
名前的にはノーリターンネームの“オフコース”よりも、なめらかネームの“小田和正”のほうがヒット曲運が強かったと言えます。
生命保険のCMソングとしてロングヒットした「言葉にできない」もオフコース時代にシングルとして発表していた曲でした。
もうオフコースとしての活動期間より、ソロ歌手小田和正としての活動期間のほうが遥かに長いのです。
◉グループでもソロでも成功したけれど
小田和正さんの名前をもう一度文字で見ると(おだかずまさ)と、グループでも成功してソロでも成功する“ワンモアネーム”ではありません。
よって法則的には該当しない事になります。
ただこれは言い訳がましく聞こえるかも知れませんが、ここまでお読み頂いてお分かりの通り、オフコース時代から一応グループという形態をとっていただけで、ほぼ小田和正さんが一人で活動していた様なものなのです。
結成から解散までいたメンバーは小田さんだけであり、オフコースに小田さんが所属していたというより、小田和正さんにオフコースが付属していたと表現するほうが的確なのです。
だからワンモアネームでなくても辻褄が合うのです。
2000年代に入っても(年齢的には50代になっても)「キラキラ」や「たしかなこと」などに代表されるヒット曲を次々と生み出し、シンガーソングライターとしての地位を確立しました。
現在は74歳となり、もうじき後期高齢者に該当する年齢です。
あまり身体が強そうなイメージはありませんが、なめらかネームの身体能力の高さが74歳になってもまだ現役で歌手を続けられるその体力に活かされているのでしょう。
2001年から毎年恒例の特番となった 「クリスマスの約束」が、今日24日の夜12時20分から(厳密には日付変わって25日の0時20分から)、昨年コロナ対策で中止になった為2年振りに放送されます。(一部地域を除く)
小田さんを慕う多くのアーティストがゲストとして参加するそうなので、時間のある方はあの美しい声とのハーモニーに癒されましょう。
この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
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これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。