勝手にお名前診断 (第155回)※2020年6月11日の記事を改訂
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第155回目の今日は西田敏行さんです。
このお名前は本名です。
ローマ字で書くとNISHIDA TOSHIYUKI となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。
リターンネームはバラエティーに強い名前です。
福島県出身の西田敏行さんは、少年時代に映画をたくさん見て演劇に興味が湧き、中学でも演劇部に入部したものの、
「このまま福島に居続けたら、標準語の芝居が出来なくなるのでは」との恐怖心を抱いて両親を説得、中学卒業後に上京して東京の高校・大学に通いました。
東京の様な大勢の人がいる環境に慣れていなかった事もあり、元々人前に出ると緊張してしまうあがり症でしたが、克服する為に電車に乗った時は、1両目から最後尾までずっと歩いて、他人に見られる事に慣れる様にしていたそうです。
俳優養成所を経て青年座の座員となり、しばらくは不遇の時代を過ごしますが、「いごこち満点」や「三男三女婿一匹」などのホームドラマで、森繁久彌(もりしげひさや)さんと共演して注目される様になりました。
その後「特捜最前線」では刑事役、「西遊記」では猪八戒役と、硬軟自在の演技で俳優としての実力を発揮します。
またその一方で「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などのバラエティー番組にも出演、コントで存在感を放つとCMにも起用され、「今やろうと思ったのに、言うんだものなぁ。」という流行語まで生み出します。
その他にもアニメ映画「がんばれ!タブチくん!」で主人公の声を演じるなど、本業の俳優以外でも大人気となりました。
そして1980年「池中玄太80キロ」と「サンキュー先生」で立て続けに主役の座を射止めます。
翌81年には「池中玄太80キロ・PARTⅡ」が制作され、その主題歌「もしもピアノが弾けたなら」も大ヒットしました。
主演ドラマの主題歌を自ら唄ってその歌もヒットするなんて、中村雅俊さんや水谷豊さん、反町隆史さんら二枚目俳優と同じですよ。(あ、武田鉄矢さんもそうでした。)
決して二枚目ではなく、体型もスマートではありませんでしたが、それらをカバーして余りある魅力を持っていたという事ですね。
そんなホームドラマ・コメディー路線で人気を博したピークが過ぎると、今度はドキュメンタリー映画「植村直己物語」や日中合作映画「敦煌」などの大作に主演します。
そういった大作でも主演を任される程、名実共に認められていたのですね。
そして1988年、「釣りバカ日誌」に出演します。最初は「男はつらいよ」の同時上映作品という事で1作のみの予定でしたが、三国連太郎(みくにれんたろう)さんとのコンビも好評でシリーズ化が決定、特に渥美清(あつみきよし)さんが亡くなられた後は「男はつらいよ」に代わる新たな松竹の看板シリーズとして2009年まで22作が制作されました。
母音ではなく文字で見ると、下の名前に「ゆ」が入る“ゆうゆうネーム”でもあります。このタイプは俳優業で大成功する可能性を秘めています。
重厚な役からコメディーまで硬軟を演じ分けられる、正にバイタリティー溢れる俳優さんなのです。
◉再びバラエティーに
俳優として大成した為(おそらくギャラも高額になった為)バラエティーにはゲストでたまに出演する程度になりましたが、そんな状況でも持ち前のトーク力を発揮し、話の面白さには定評がありました。
本業で忙しい中にも関わらず、2001年からは上岡龍太郎(かみおかりゅうたろう)さんの後を受けて「探偵!ナイトスクープ」の2代目局長に就任。以降18年間に渡って務め上げました。
この番組は深夜帯での放送ながら関西では高視聴率を稼ぐ超人気番組だった為、上岡龍太郎さん引退の後を関西の大物コメディアン達も虎視眈々と狙っていましたが、俳優・西田敏行さんに白羽の矢が立ったのです。
ここでもやはりリターンネームの話の上手さとバラエティー運の強さがものを言いました。
更に(にしだとしゆき)と、「し」の字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあるのです。
デビューしたての頃のコント番組から、メインMCとしてバラエティーに返り咲く。見事な“ワンモア”ですね。
また、ドキュメンタリー番組「人生の楽園」では菊池桃子(きくちももこ)さんと共にナレーションを務めています。俳優でナレーターとしても有名な方は石坂浩二さんや森本レオさんなど、リターンネーム+ワンモアネームの方が多いのです。
俳優、声優、バラエティー、ナレーション、そして歌もヒットと、もうワンモアどころじゃありません。西田敏行さんは名前の特性を活かしきっている方と言えます。
東日本大震災の後は故郷・福島県の為復興に尽力し、映画「遺体 明日への十日間」では遺体安置所でボランティアとして働く主人公を演じ、悲惨な現場の惨状と遺族への労りを描く事で反・原発を訴えました。
最近では日本俳優連合理事長として、コロナ禍で仕事を失った俳優・演劇人への支援を訴えた事でも話題になりましたね。
元々シャイな性格で、自分からしゃしゃり出る事は少ないのですが、いざという時には前に出てスピーカーとなる、人情味溢れる熱血漢なのです。
この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。