勝手にお名前診断 (第219回)
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第219回目の今日は稲川淳二さんです。
本名は稲川良彦(よしひこ)といいます。
ローマ字で書くとINAGAWA JUNJI となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。
リターンネームはバラエティーに強い名前です。優れたトーク力が備わっている方は、声だけの仕事にも強くなります。
東京渋谷区の恵比寿に住んでいた稲川淳二さんは、幼少期は地元でガキ大将的存在でしたが、ある日麻布に住んでいた同い年の安岡力也(やすおかりきや)さんと公園で遭遇し、ボッコボコに叩きのめされた事で子分になりました。正にジャイアンとのび太の様な関係だったそうです。
中学進学後に疎遠となっていた安岡力也さんとは芸能界で再開し、亡くなるまで交流は続きました。
専門学校卒で工業デザイナーの職に就きながら舞台俳優としての活動を始め、28歳でラジオ「オールナイトニッポン」の2部(深夜3時〜5時)に出演したのがメディアデビューとなります。
ここまでは本名・稲川良彦という“ノーペアネーム”の不安定さが出ていると言えますね。
そこから徐々にテレビのバラエティーに進出すると、貧乏で不健康そうな顔立ちがキャラクターとなり様々な番組に出演しました。特に「オレたちひょうきん族」ではワイヤーで吊られた状態でペンキの海に漬けられ、魚拓ならぬ人拓を取るという身体を貼った芸で人気を博し、「悲惨だなぁー。」や「喜んで頂けましたか?」などお決まりのセリフも生み出してレギュラーとして活躍したのです。
いま思えばダチョウ倶楽部や出川哲朗(でがわてつろう)さんらリアクション芸人の元祖だったのかも知れません。
◉怪談よりゾッとする話
1985年8月12日、仕事で大阪に向かう予定だった稲川さんは、当日は立つ事も辛いほど体調を崩していた為に飛行機の予約をキャンセルし、翌朝一番の新幹線で移動するようスケジュールを変更しました。
なんとそのキャンセルした便こそ、悪夢の墜落事故を起こした日本航空123便だったのです。
一方で稲川さんの友人は私用で大阪に向かう際、羽田空港への到着が早かった為にキャンセル待ちでその便に搭乗して犠牲になったそうです。
奇跡的に命拾いをした稲川さんは「生涯忘れられない出来事」として、生き延びた事のありがたみを感じながら俳優業などにも取り組むようになりました。
そして1986年「オールナイトフジ」で語った怪談話が恐いと評判になり、以降カセットテープやCD、ビデオや書籍などあらゆる形で怪談をリリースするうちに、すっかり怪談の語り手として有名になりました。
これもリターンネームで長く活動した事で身に付いた話術の賜物と言えるでしょう。芸名を名乗っているうちにその名前でいる時間が長くなる為、その特性まで身に付く事があるのです。
93年頃からは「ミステリーナイトツアー・稲川淳二の怪談ナイト」というライブを夏から年末にかけて全国をまわって行い、今やライフワークとなっています。
あの「嫌だなぁー、恐いなぁー。」というフレーズも、リアクション芸人時代の「悲惨だなぁー。」が元になっていると思うのは私だけでしょうか。
そんな稲川淳二さん、怪談シーズン以外は何をしているのか疑問に思う方もいるでしょう。
最近You Tubeチャンネルを開設し、動画配信を始めたそうです(もちろん怪談です)。
メディアを選ばない話芸というのは、いつの時代も強いのかも知れませんね。恐い話がお好きな方は是非どうぞ。
この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。