矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

渡哲也さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第152回)※2020年6月8日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第152回目の今日は渡哲也さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとWATARI  TETSUYA となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。 

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本名は渡瀬道彦といいます。

ローマ字で書くとWATASE  MICHIHIKOとなり、

苗字の最後の文字「せ」と、下の名前の最初の文字「み」

フルネームの最初の文字「わ」と、最後の文字「こ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

 

“なめらかネーム”ほど目立ちたがりではなく、“リターンネーム”ほど話し好きでもなかった渡瀬道彦さんは、俳優も自ら志願した訳ではなく、大学時代に所属していた空手部の仲間や弟の渡瀬恒彦(わたせつねひこ)さんが、浅丘(あさおか)ルリ子さん主演映画100作記念作品の相手役に、勝手に応募した事がきっかけでした。

当時はまだアクション映画や青春映画を制作していた日活に入社し、新機軸として打ち出されたニューアクション路線の旗手となって活躍したものの、しばらくして日活がポルノ映画路線への移行を計った為に日活を退社します。

そして石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さんへの尊敬の念から、その頃は借金で倒産寸前だったという石原プロに所属したのです。

 

それからはテレビドラマにも出演する様になり、「くちなしの花」という歌もヒットするなど軌道に乗ってきたかに見えましたが、この頃の渡哲也さんはとにかく病気がちで入退院を繰り返していた為、途中降板や代役を立てられる事が多かったのです。

「忍法かげろう斬り」というドラマでは弟の渡瀬恒彦さんが、大河ドラマ勝海舟」では松方弘樹(まつかたひろき)さんがそれぞれ途中降板の後を受けました。

あのヤクザ映画の金字塔と言われる「仁義なき戦い」も、最初は菅原文太(すがわらぶんた)さんではなく渡哲也さんの主演が予定されていたそうで、ここまでは本名のノーペアネームがもたらす「不安定」さが影響していると言えます。

 

70年代後半からは石原プロ再建を賭けてテレビドラマに本格進出し、「大都会」シリーズや「西部警察」シリーズに主演して人気を博しました。

これら刑事ドラマでヘアースタイル(角刈り)とサングラスのイメージが定着していきます。

特に「西部警察」は派手なカーアクションや爆破シーンが話題を呼び、役名の“大門”が渡哲也さんの代名詞と言われる程の代表作となりました。

 

石原プロの社長として

 

俳優業の傍ら石原プロの副社長も兼務していた渡哲也さんは、1987年に石原裕次郎さんが亡くなった後、2代目社長に就任します。

もう芸名の渡哲也でいる時間のほうが長くなったとは言え、リターンネームなので基本前には出たがらず、社長になった後もドラマ以外ではほとんどテレビに出演しませんでした。

そして社長となって初の石原プロ制作作品「ゴリラ・警視庁捜査第8班」の撮影中、ヘリから着地した際に怪我をしてしまい、痛みを感じつつも撮影を続行した為に後遺症が残り、足を引きずって歩くようになってしまいます。社長として撮影に穴をあける訳にはいかないという思いがそうさせたのでしょう。

それ以来アクションの少ないヒューマンドラマや重厚な役が多くなります。

竹中直人(たけなかなおと)さん主演の「秀吉」では織田信長役を演じ、途中降板した「勝海舟」以来の大河ドラマ出演を果たしました。

そして2011年、社長就任期間が石原裕次郎さんと並んだ為、「それを越える訳にはいかない」と社長の座を退任しました。どこまでも恩義に厚く、お世話になった方を立てる、「一歩下がる」姿勢を忘れない方なのですね。

 

社長退任後は相談取締役という役職につき、石原プロ経営陣の一環を担う事となります。

2017年に弟の渡瀬恒彦さんに先立たれ、自身も肺気腫と戦いながらの生活の為、事実上俳優活動は引退という形になってしまいました。

それに次いで石原プロについても「倒産などで裕次郎さんの名を汚さないよう、自分の目の黒い内に解散する」との見解を発表し、その後一ヶ月と経たない内の2020年8月10日、肺炎の為78歳で帰らぬ人となりました。

ご本人の遺志により家族葬の終了後に一般への発表がなされ、お別れの会なども行われませんでした。最後まで謙虚な姿勢を貫いたのですね。

(斜体文字が加筆した部分です)

そして今年1月16日を以って石原プロは解散、58年にも及んだ歴史に幕が閉じられ一つの時代が終わったのです。

改めて渡哲也さんのご冥福をお祈りします。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。