勝手にお名前診断 (第72回)※2021.2.22改訂
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第72回目の今日は上沼恵美子さんです。
このお名前は本名ですが旧姓は“橋本”で、
漫才師時代の芸名は海原千里(うなばらせんり)でした。
まず漫才師時代の芸名、海原千里さんから見ていきましょう。
ローマ字で書くと、UNABARA SENRIとなります。
苗字の最後の文字「ラ」と、下の名前の最初の文字「セ」、
フルネームの最初の文字「ウ」と、最後の文字「リ」の母音が違います。
この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。
また当時の本名、橋本恵美子で見ても、
HASHIMOTO EMIKOとなり、
苗字の最後の文字「ト」と、下の名前の最初の文字「エ」、
フルネームの最初の文字「ハ」と、最後の文字「コ」の母音が違うので、本名もノーペアネームでした。
ノーペアネームの方は「不安定」になるという特徴があり、芸能界ではなかなか運を味方につけられず、人気が出ても長続きしない傾向があります。
漫才師になる前の橋本恵美子さんは幼少時から歌が上手く、「のど自慢あらし」と呼ばれた程でしたが、同じ時期に強力なライバルがいた為に優勝をかっさらわれ、準優勝となる事が多かったといいます。
実はその強力なライバルというのが、後の天童(てんどう)よしみさんだったそうで、なかなか勝てなかったのも納得ですね。
それでも歌手を志していたのですが高校生になった頃、
海原お浜・小浜師匠の下で漫才の修業をしていた実のお姉さん(海原万里)の相方がデビュー直前で失踪してしまい、急遽海原千里・万里の千里としてデビューする事となったのです。
しかし既にのど自慢大会への出場などで人前に立つのは慣れていた事もあり、
欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんのモノマネや、お姉さんよりも巧みな話術で芸達者ぶりを発揮し、たちまち関西を中心に大人気になりました。
さらに人気に乗じて「大阪ラプソディー」という歌を出すと、漫才師の歌としては異例の40万枚を越える大ヒットとなります。
歌手になる夢も叶った形にはなりましたが名義は海原千里・万里で、当然お姉さんの声も入っていました。また漫才コンビではよくある事ですが、世間の認識はけっこう曖昧なもので、どちらが千里でどちらが万里かもよく分かっていなかったでしょう。
(特に大阪のオバちゃんなんてそんなものです。)
そして「大阪ラプソディー」のヒットからわずか2年後に関西テレビのディレクターと結婚して引退、海原千里・万里も解散となりました。
しかし専業主婦に耐えられなかったのか、翌年には芸能界に復帰します。
そう、上沼恵美子として。
ローマ字で書くと KAMINUMA EMIKOとなります。
苗字の最後の文字「ま」と、下の名前の最初の文字「え」、
フルネームの最初の文字「か」と、最後の文字「こ」の母音が違います。
この名義も“ノーペアネーム”です。
しかし全体を見るとKAMINUMA EMIKOと、A・I・U・E・O、5つの母音が全て入っています。
このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。
このロイヤルネームの有名人の方は強運に恵まれ、それぞれの世界で成功するだけでなく、他のジャンルに挑戦すればそこでも成功を収め「何をやっても上手くいく」のではないかと思わせるような、最強の名に相応しい活躍をされている方が非常に多いのです。
ただ当時は「一度引退したのに何故戻ってくるんだ」という非難の声もあったようで、漫才師時代の様な脚光は浴びられませんでした。
また旦那さんとの約束で、「芸能界に復帰するのはいいが、仕事は関西圏だけにして欲しい。」という言いつけを守っていた為、全国的にはほぼ知られていない状態でした。
唯一全国ネットの番組への出演が、NHKで1985年からスタートした、
「バラエティー生活笑百科」(法律問題を弁護士が解決する、「行列のできる法律相談所」の原型とも言われる番組)のパネラー役でした。
そこで上沼恵美子さんはかつての話術を存分に発揮し、「皆さんご存知の大阪城、あれ私の家なんです。」などとホラも交えながらの論説がじわじわと人気を集めます。
そしてその話術の面白さが認められ、1994年には「紅白歌合戦」の紅組司会に抜擢されました。それまで関西ローカルの番組での司会はありましたが、全国ネットでは初めてだったので世間では「誰?」「知らない。」とも言われていましたが見事に務め上げ、翌95年も続投となります。
知名度は一気に上がり、全国ネットの番組からのオファーも殺到したそうですが、やはり旦那さんとの約束を守り全て断ったそうです。
ただ関西ローカルでは司会者としてハクが付き、「怪傑えみちゃんねる」がスタートしたのもその頃です。番組は高視聴率を稼ぎ、上沼さんは「西の女帝」と呼ばれるまでになりました。
昨日紹介した黒柳徹子さんの様に、ロイヤルネームの女性の司会者運が花開いたのです。
また、お姉さんとのコンビで唄っていた「大阪ラプソディー」も、お姉さんがほぼ芸能界から退いている為に一人で唄い、今や上沼恵美子さんの歌になっています。
◉M−1審査員として
全国ネットの番組「おしゃべりクッキング」でも司会を務める様になりましたが、制作は大阪の朝日放送で収録も大阪で行われている為、関西から出た事にはなりません。
頑なまでに東京のテレビ局には出演しませんでしたが、ある後輩からM−1審査員の依頼が来ます。
誰あろう島田紳助(しまだしんすけ)さんでした。
大会委員長直々の依頼に断れず、2007年から審査員の一員として参加します。そして近年は審査員長となりました。
そうなるともう言いたい放題、個人的な好みで「好き」「嫌い」とはっきり言い放ち、若い芸人を震え上がらせます。
母音ではなく文字で見ると(かみぬまえみこ)と、「か」という字が入る“お・か・きネーム”でもあります。
自分への厳しさが他人への厳しさに直結している方なのです。
(斜体文字が加筆した部分です)
その為バッシングを受ける事もありますが、良くも悪くも話題を集め、上沼恵美子の名前が全国に轟くようになりました。
今や高田純次(たかだじゅんじ)さんと共に司会を務める(とは言ってもほとんど上沼さんが喋っている)関西・中京エリアでしか放送されていない番組での発言がネットニュースになる程、何かと話題になるインフルエンサーと言っても過言ではない上沼さんですが、それだけ歯に衣着せぬ発言が出来るのはネットを見ない世代だから、とも言えます。つまりネットで叩かれようとも本人が見ていないので応える筈もなく、今時の芸人の様に炎上にビビる事もないのです。そこへきて「関西のオバちゃん」気質ですから恐いもんなしです。
「えみちゃんねる」は終わってもまだまだ活躍は続きそうです。
この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。